寿栄 食の物語(せっちゃん)

寿栄コミュニティセンターの裏手に、小さな川が流れている。夏になると、風が少しだけ湿り気を帯びて、どこか遠くから炭の匂いがしてくるような気がする。

その匂いをかぐと、私はいつも父のことを思い出す。

父の夏の仕事は、鰻を焼くことだった。七輪に炭を起こし、ぱちぱちと音を立てる火の上で、串に刺した鰻をじっくりと焼く。汗をぬぐう暇もなく、ただひたすらに、火と向き合っていた。

「火はな、急がせたらあかん」

父はそう言って、うちわで静かに風を送る。強すぎても弱すぎてもいけない。その加減が難しいのだと、子どもの私にも分かった。

焼けていく鰻の香ばしい匂いは、町じゅうに広がった。近所の人たちが、ふらりと立ち寄っては笑顔になり、父の手から受け取る。あの頃の町は、食べものと人の温もりでできていたのだと思う。

今、私は九十を過ぎた。米寿の兄と、傘寿の妹と三人で、時々大阪へ出る。

「今日は、鰻にしようか」

誰かがそう言うと、三人とも少しだけ背筋が伸びる。疲れているときほど、あの味を思い出すのだ。

店に入ると、七輪ではないけれど、炭火の香りがふわりと漂う。焼き上がった鰻を口に運ぶと、あの夏の父の背中が、すぐそこに戻ってくる。

「うまいなあ」

兄がぽつりと言う。妹はうなずきながら、目を細める。私たちはもう長い年月を生きてきたけれど、その一口で、また子どもに戻る。

食べ終わるころには、不思議と体が軽くなっている。

店を出ると、大阪の街はにぎやかで、若い人たちの笑い声があちこちに弾んでいる。その中を、ゆっくり歩く。

「長生きしなくてもええけどな」

妹が笑いながら言う。

「せやけど、まだ遊びたいなあ」

兄も笑う。

私も、うなずく。

長く生きることよりも、こうして一緒に笑える時間のほうが、ずっと大事だと思う。

ふと、また炭の匂いがした気がした。

振り返っても、そこにはもう七輪も父の姿もない。それでも、あの火は消えていない。私たちの中で、静かに、あたたかく燃え続けている。

町を作ってきたのは、立派な建物や大きな道だけではない。誰かが心を込めて焼いた一匹の鰻と、それを囲んで笑う人たち。

その積み重ねが、今のこの景色になっているのだろう。

私は空を見上げる。

夏の光がやわらかく降りてきて、どこか懐かしく、そして大きな温もりに包まれる。

――まだ、もう少し遊べそうだ。

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