団子の湯気が消えない町
寿栄コミュニティセンターの角を曲がると、昔、甘い香りがふわりと流れてくる場所があった。
小さな和菓子屋だった。
朝にはみたらし団子を焼く醤油の香ばしい匂い。
春には桜餅の葉の青い香り。
五月になると、店先には柏餅と粽が並び、笹の葉が風に揺れていた。
学校帰り、母に手を引かれて寄ったこと。
「今日は柏餅にしようか」と笑った声。
包み紙を開くと、もちもちとした歯ごたえの餅と、やさしい甘さのあんこ。
あの味は、お菓子というより、町のぬくもりそのものだった。
けれど景気の波は、小さな店にも容赦なく押し寄せた。
ある日、店のシャッターは下りたままになった。
最初は「そのうち開くだろう」と思っていた。
けれど春が来ても、五月になっても、柏餅は並ばなかった。
シャッターの前を通るたび、胸の奥に小さな寂しさが積もった。
まるで、町の一部分が静かに欠けてしまったようだった。
—
ある日、寿栄コミュニティセンターで開かれた集まりの帰り、古い店の前で立ち止まっていると、隣に白髪のおばあさんが来て言った。
「ここの桜餅、おいしかったねえ」
思わず笑ってしまった。
「みたらし団子も、忘れられません」
すると、おばあさんは懐かしそうに目を細めた。
「お店はなくなっても、味の思い出は消えないものだよ」
その言葉が、胸に灯をともした。
町は、建物だけでできているんじゃない。
そこで働いた人の手。
買いに来た人の笑顔。
包み紙を開いた家族の時間。
そういうもので、街は作られてきたのだ。
閉まった和菓子屋も、今もちゃんとこの町を作っている。
—
その夜、ふと考えた。
もし生まれ変わったら。
小さな手作り和菓子屋をやってみたい。
朝早く餅をつき、あんこを炊き、みたらしのたれを煮る。
五月には柏餅と粽を並べる。
子どもが「一本ください」と団子を買いに来て、年配の人が「昔と同じ味だね」と笑ってくれる店。
栄町商店街に、そんな和菓子屋がまたできたらいい。
いや、もしかしたら、誰かが始めるのを待つだけじゃなく、思いを語ることで町は少しずつ動くのかもしれない。
失われたものを惜しむ気持ちは、未来を願う種にもなる。
—
今年も五月の風が吹く。
閉じたシャッターの前に立つと、不思議ともう寂しさだけではなかった。
耳を澄ますと、昔の店先の声が聞こえる気がする。
「できたてだよ、あったかいうちにどうぞ」
湯気の立つみたらし団子。
柏の葉の匂い。
やわらかな桜餅。
町を作ってきた人たちの手のぬくもりは、消えていなかった。
それは今も、この街のどこかで、静かにもちもちと、生きている。
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